女流歌人の秋
2018年 10月 24日
歌人は女性が多いが、好みから言えば男性歌人の歌はちょっとごつごつしている、
いわゆる「益荒男ぶり」というのがあり、その点女性の歌が面白いと思う。
表現も細かい。秀歌は幾ほどもあるが、取り敢えず五首を選んでみた。
夜のうちに秋へゆくなり夢に沁みてわれを北上する水のおと
大口玲子(おおぐちりょうこ)「東北」
大口は現代の有力な歌人である。秋になり夢、即ち自身の心の内の冷涼感ある
すがすがしさを感じさせる歌と思う。三句めは字余りではあるが、全く格調が高い。
「われを」に注目してほしい。「われを北上」で七音、「する水の音」で七音になる句跨りの技法。
特に後に挙る式子内親王の歌と読み比べて頂きたい。
ひいらぎのつましき花さえ咲くかぎり秋十万のひかりを集む
川口美根子 「ゆめの浮橋」
川口は私自身余りなじみのない「アララギ」系の歌人であるが、下の句をみてほしい。このような表現は並ならぬ力量を感じさせる。上の句では繊細な表現、下の句では力強い詠いぶり、そのコントラスト、ダイナミズムを感じさせる。
ぬばたまの黒羽蜻蛉は水の上母に見えねば告ぐることなし
齋藤史「風に燃す」
蜻蛉は「あきつ」。トンボに母の霊が宿っているというように読める。口語的短歌も得意な大歌人であることは言うまでもない。俵万智が最も尊敬している歌人の一人だ。「ぬばたまの」は黒にかかる枕詞。
秋空を透かし豊けき竹籠に子なき番ひの雁を飼ひたし
富小路禎子「透明界」
番ひは「つがい」と読む。この歌は富小路禎子の出自や人生を知らない人にはピンと来ないだろう。華族の家に生まれいわゆる斜陽族となった人だ。「斜陽」は太宰治の小説にもあるように、戦後、華族への給付金が廃止され、生活力の乏しい華族に没落、零落した人々を現わしている言葉である。
彼女は紆余曲折を経て有名な会社に職を得て生活の糧を得た。男性に良くもてた人なのだが、おそらく一人の男性の手も握らず生涯を終えた人である。その末裔なき自己の願望を詠んでいるのだろうか。「豊けき」は豊穣の意であろうが、籠から想像してほしい。男女の円満への憧れを感じるのは手前勝手な解釈だろうか。特に私の好きな歌人だ。
明けぬなりさぞと思ふに秋にそむ心の色のまづかはるらん
式子内親王
「立秋の夜があけたようだ、さぞ秋らしい様子になっているだろう。秋を深く
感じいるこころの様子が、真っ先に変わるのであろう。」
「明けぬなり」で切れる。初句切れの歌。「さぞと思ふに」は巧な詠いぶり。
高貴で繊細な式子の感受性を感じる歌だ。「らん」は「らむ」と読む方が音韻が良い。